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震災の後、家に帰れない秘書のお姉さんがうちにお泊りして

森本さん(20代)からの投稿
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震災の後、ボクたちは自分たちの家を目指し、ひたすら歩いていた。

交通は麻痺し、通信手段も遮断されていて、できることと言えば自分の足で歩くことぐらいだった。

そのとき、ボクは会社に入って二年目で、専門が化学系だったことからラボに配属されていた。

ガタガタとテーブルの上のフラスコやビーカーが揺れ始め、次の瞬間には大きな揺れが襲ってきた。

同期の佐倉がテーブルの下に潜り込み、声も出せずにいた。

目が合うと彼女は手招きをして、ボクにも下に潜り込むようメガネの奥の少し怯えた目が告げていた。

何かが床に落ちて、ガラスの割れる音がしたかと思うと、どこかで女性社員の悲鳴のような声が聞こえた。

ボクも慌ててテーブルの下に潜り込んだ。

防災訓練は受けていたのに、結局それ以外のことは何もできなかった。

ヘルメットがどこかにあるはずなのに、どこにあるのかわからなかった。

揺れが漸く収まって、テーブルの下から這い出ると、研究室の中は荒れていた。

本棚からは、資料や本が床に落ちて散らばっていた。

塗料と混ぜて使う薬物の入ったビンだけは、扉のついたガラスケースに収められてのがせめてもの幸いだった。

「凄かったね」

佐倉がテーブルの下から這い出て来ながら言った。

ボクは、それに頷くことしかできなかった。

「おい、外へ出るぞ」

所長の誘導の下、ボクたちは階段を使って地上階に降り立つと、ラボのビルを出て駐車場へと集合した。

「怪我人はいないか?」

先輩たちが点呼を取り始め、ボクと佐倉は顔を見合わせるしかなかった。

幸いにも、怪我をした人はいなくって、ボクたちはホッと胸を撫で下ろした。

携帯を取り出して、情報を集めようとしたけれど、回線が混雑しているのか、ネットには繋がらなかった。

「森本くん、ネット繋がった?」

佐倉の問いに、ボクは力なく首を横に振った。

顔を上げるとラボのお偉いさんたちが集まって、何かを話し合っている。

情報もないままに、時間だけが過ぎていく。

やがて、お偉いさんたちの中の一人が、駐車場に集まった社員に向かってこう告げた。

「本日は、これで業務終了とします」

別の人が続けて言った。

「うちに帰りたい人は、上司に断ってから会社を出るようにしてください」

陽が落ちるまでには、まだ時間があった。

研究所に留まるか、うちに帰るか、ボクは迷っていた。

明るいうちには無理だとしても、歩いてでも今日中には家にたどり着けるかもしれない。

「佐倉さんはどうする?」

聞いてみると、佐倉はきっぱりとボクにこう言った。

「私、本社に行ってみる」

「えっ?電車が動いているかどうかもわからないのに?」

おそらく街は混乱していて、タクシーもきっと拾えないだろう。

それでも佐倉は言った。

「うん、行くだけ、行ってみる」

佐倉には、本社に好きな人がいると、誰かから聞いたことがあった。

こんなとき、自分には心配する相手がいないのは、何だか寂しい気がした。

佐倉がちょっと羨ましかった。

「森本くんは、どうするの?」

どうしようか迷ったが、ボクは漸く決断し、それを告げた。

「ボクは、うちに帰るよ」

「そう。それじゃぁ、お互い、気をつけてね」

「うん、それじゃ」

門を出ると、佐倉は本社へと続く大通りに向かって小走りで駆け出して行った。

白衣姿の佐倉は、裾が棚引いていて、何だか映画のワンシーンのようだった。

余震が続いていて、研究所のビルには戻らないように言われている。

だから、ボクたちは白衣姿のまま、それぞれの目的地へと向かうことになった。

ボクは、佐倉と反対の方角へと歩き出したが、駅へ向かう途中で、定期入れを持っていないことに気がついた。

財布もカバンの中に入れたままだった。

取りに戻ろうかとも考えたが直ぐに諦めた。

戻ってもどうせビルには入れない。

家の鍵と小銭入れだけはズボンのポケットに入っていたので、そのまま駅へと向かうことにした。

果たして、駅は人ごみでごった返していた。

電車の運行は全て止まっていて、駅員さんから状況を聞きだそうとたくさんの人が詰め掛けていた。

そのときボクは、人ごみの中に、どこかで見かけたことのある後姿を見かけた。

「田之倉さん?」

ボクの声に振り向いた女性は、紛れもなく、秘書の田之倉涼子さんだった。

「社長になると、あんな綺麗な人が秘書についてくれるんだなぁ」

入社式の後で、同期の連中とそんな会話を交わしたのを思い出した。

二十代後半だと噂で聞いたことがあったが、ボクと同じか、精々ひとつかふたつ違いにしか見えない綺麗な人だった。

「森本くん・・・」

田之倉さんが大きな目を見開いて驚いた表情をして見せて言った。

けれどもその大きな瞳は、直ぐにいつもの優しい目に戻っていた。

そんなことよりも、田之倉さんが、ボクなんかの名前を覚えていてくれたことがちょっと驚きだった。

けれども、そのような話をしている状況ではなかった。

「田之倉さんが、どうしてこんなところに?」

尋ねると、田之倉さんは事情を説明してくれた。

「社長のお使いで、ラボの所長のところに来ていたの」

ボクはそれに頷いた。

「ラボを出たところで、地震に遭ってしまって・・・」

事情は分かったが、だからといって何かをしてあげられるわけでもなかった。

顔を見合わせていても電車が動き出すわけでもなく、ボクたちは途方にくれた。

暫く様子を伺っていたけれど、電車が動き出す気配は一向になくて、ボクは決断のときを迫られた。

「ボクは、歩いて帰ろうと思いますけど、田之倉さんはどうされます?」

「私のうちは、歩いて帰れる距離ではないの。このまま待ってみるわ」

普段なら、田之倉さんと一緒にいたいと思うところだろうが、そんな余裕はなかった。

「そうですか。では、お気をつけて」

「森本くんも気をつけてね」

胸の前で小さく手を振る田之倉さんに見送られて、ボクはその場を後にした。

けれども、五分ほど歩いたところで、ボクの足は田之倉さんのもとへと引き返していた。

「田之倉さん!」

ボクが戻ってきたのを見て、田之倉さんは少し驚いていた。

でもすぐに、懐かしい人にでも再会したような優しい表情をしてくれた。

「どれだけ時間がかかるか分かりませんけど、よかったら一緒に来ませんか」

憧れの先輩と、こんなところで巡り合ったのも何かの縁だと思って、ボクは思い切ってそう言ってみた。

田之倉さんは、少し考えていたみたいだった。

けれども、すぐに頷くとこう言った。

「そうね。このまま待っていても仕方がないわね」

ボクは田之倉さんの決断を促すように頷いた。

「方角も一緒だから、ご一緒させてもらっていいかしら」

その返事を聞いて、ボクは心の中で自分の勇気を称えた。

ボクの白衣姿に対して、田之倉さんは上下とも黒のスーツ姿だった。

少し高めの黒いヒールを履いていたので、歩きにくそうだった。

けれども、靴を売っているお店など見当たらず、気遣ってあげる余裕もなくて、そのまま歩き出した。

あったとしても、買うお金は持っていなかったのだけれど。


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